|
絹と真綿の歴史
|
5千年前に偶然発見された「絹」 |
今から5千年も昔のこと。中国の祖と崇められた黄帝のお妃が、ある日山繭(野蚕/野生の蚕がつくった繭)をあやまってお茶の中に落としてしまいました。お箸で拾い上げようとしているうちに、その繭は純白の糸に。これが絹の誕生です。やがて、蚕は家で飼われるようになり、養蚕が始まりました。シルクロードを通じて中国の絹はヨーロッパにもたらされ、富と権力の象徴として扱われてきました。 |
|
卑弥呼も知っていた |
|
日本に養蚕技術が伝わったのは弥生時代前期といいますから、今からおよそ2,300年前のこと。女王卑弥呼も蚕を飼っていたといわれています。「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼が中国の明帝から金印を授与されたときのおかえしに国産の絹を献上したことが記されているのです。 |
|
実用的に活躍してきた真綿 |
|
真綿は軽くてあたたかいことから、防寒具として綿衣などが作られていたようです。花嫁さんの綿帽子も、もともとは寒さから身を守るために真綿をかぶっていたことが始まりだとされています。また、矢弾を防ぎ身を守るほどの強さがあることから、戦闘衣(甲冑)も真綿で作られました。さらに、真綿は今日の紙の役割を果たしていたことも分かっています。 |
|
真綿は高嶺の花 |
万葉歌人・山上憶良の「貧窮問答の歌」に、真綿はあたたかいけれどもとても高価で、庶民には手が届かないというようなことが書かれています。真綿そのものを掛けて寝るという風習は、上流社会においては古くからあったようですし、そのあたたかさを庶民も知っていたことがうかがえます。歴史的にみれば絹のような華やかさはないものの、生活にしっかりと根づいていたことが分かります。 |
|
|
|
|